キャッチ&リリースの是非
今回はタイトルの通り、キャッチ&リリースについて、ゴリラの個人的な意見を書きます。
はじめに言っておきます。
ゴリラは、どうでもいい派です。
え?
そんなんでいいの?
いいんです!
後述しますが、ゴリラなりに考えての結論です!
賛否両論な話題なので、「俺はこっち!」って決まってる方は読まないほうがいいと思います。
そもそもキャッチ&リリースとは?
キャッチ・アンド・リリース(キャッチ&リリース、再放流)とは、釣りで釣った魚を生かしたまま、釣った水域、地点で同所的に放流する行為である。
釣りにおいてその漁獲目的が魚の商業利用や自家消費でなく純然たる遊漁である場合、無益な殺生を避け、また生物資源の保護という観点から釣った魚をその場で水に戻すことが望ましいとされた。しかしながら根本的には人間が楽しむ反面、釣針で魚に傷を負わせる上に多大な疲労と恐怖を与える事になる為、業の深い行いであることは否定できない。このため動物虐待とされる事もあり、賛否がある。
「キャッチ・アンド・リリース」『ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9
とのこと。
大雑把に要約するなら
・釣り師が楽しむため
・生物資源の保護のため
です。
根本的には人間が楽しむことが前提にあるので、賛否があるんですねー。
で、ゴリラはというと・・・
「生物資源の保護だったらそもそも釣るなよ」
「命に責任もてよ」
とか思う反面
「やりすぎなければ、確かに食うよりは影響少ないかも・・」
「根絶やしにするよりはマシかな・・」
なんても思っちゃう、とても中途半端な感じ。
勝手だよねー。
でも、それでいいんじゃないかな?
「生きる為!」という一部の人を除いては、キャッチ&イートも人間が楽しむことが前提なのは同じですしね。
それでも、足りない頭をフル回転させて導き出した結論はこうだ!!
命に感謝しながら釣りを楽しむ
秋田は阿仁マタギが有名です。
超ざっくりいうと猟師です。
マタギの人たちは、猟によって生計を立てていました。
クマ、シカ、猿、ウサギ、鳥類などを、罠や鉄砲で狩ります。
猟の獲物は、売ったり、食べたり、何かと交換したり。。
つまり生活のために動物を狩るのです。
山の神様(女神)に感謝しながら。
で、山での生活には魚も貴重なタンパク源とされてますから、やっぱりイワナやヤマメもその対象になります。
渓魚が到底登れないような滝でも、そのさらに上にイワナやヤマメが生息しているなんてこと、よくありますよね?
秋田では、マタギをはじめ、山で生活する人々が放流したと伝えられています。
食うために。
生きるために。
狩った命には責任を持つ!
山の恵み(神様)に感謝していただく!
マタギの心得。
ゴールデンカムイでも似たようなこと書いてた!
だからゴリラは
釣ったら食う!
食う分しか釣らない!
キャッチ&イート!!
でもたまにリリース。
我々が楽しんでいる渓流釣りも、言ってしまえば原点は狩猟です。
食物連鎖、生命の階層(ヒエラルキー)の中での行動です。
で、安定した漁獲のために放流もされてきました。
であれば、「命に感謝しながら釣りを楽しむ」のなら、それでいいんじゃないかと思うゴリラです。
イートVSリリースなんてどうでもいい
どっちが正解とか、そんなんどうでもいいです。
誤解のないように言っておくと、個々人がそれぞれに自然の事を大切に考えて(重要)行動しているのであれば、それでよくないですか?
リリースしても、少なからず魚が「死ぬ」可能性はあるんです。
火傷を負ったり、傷痕からの感染症になったり、乳酸が溜まって動けなくなったり。。
「魚のこと、自然のことを大切に考える」なんて言えば聞こえはいいですが、食おうが逃がそうが、釣りをしている時点で矛盾しちゃうんですよね。
だったら・・・
各々、自然と上手く付き合っていこう!
が一番のスッキリするんじゃないかな、と。
はい、最後の最後にアバウトにまとめました!
あー、硬い文章書いて肩こった!
週末釣りいきてぇ!
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